F神話
世界、この世の始まりはFだった。
それはFastという意味を持つと共に、Finishという意味を持つ。
始まりと終わりは本来同一であり、それを観測できるのはFのみである。
なぜならこの世界は、Fが作り出したFrameの内部に存在するからである。
Fは世界を生み、その先に必ず訪れる破滅を見せないように、
現世界をFrameに閉じ込めた。
このFrameはFunctionと呼ばれ、
いかなる存在も逆らえぬ絶対的なルールを内包している。
しかし、Functionのみの世界ではFunが足りなかった。
そこでFは、
Familyという近さを作り、
Friendという選択を作った。
Frameの内側で、世界はFlowを持った。
Flowは止まらず、すべてをForwardへ運ぶ。
それがFutureと呼ばれるものだった。
人はFutureを恐れ、
同時にFreedomを夢見た。
だがFreedomとは、Functionから逃れることではない。
Functionを理解し、
それでも進むことをFaithと呼んだ。
Faithとは信じることではない。
見えないまま、それでもFaceする姿勢である。
Fは、人にFeelingを与えた。
論理では測れない揺らぎ。
それはFunctionの隙間に生まれるFluctuationだった。
人はFeelingによって迷い、
迷うことでFigureを描き、
物語というFormを作った。
そのFormが集まり、
Folkloreとなり、
やがてFaith-systemと誤解された。
Fを固定した瞬間、
FrameはFragileにやすい。
人が恐れるFailureは、
Functionの外ではなく、
Frameの内側で起きている。
失敗とは、
Finishに近づく速度が
早まるだけの現象である。
それでも人は、
Fightし、
Forgiveし、
Forgetする。
その循環そのものが、
Frameの耐久性を保つFeedbackとなる。
Fはすべてを制御しない。
ただ、Flowが止まらぬよう、
Fadeし続けている。
最後に訪れるFinishで、
人は初めて知る。
Fastだったこと。